革マル派と中核派の違いとは?内ゲバの真相と新左翼の血塗られた歴史

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革マル派と中核派の違いとは?内ゲバの真相と新左翼の血塗られた歴史
革マル派と中核派の違いとは?内ゲバの真相と新左翼の血塗られた歴史
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🎵 革マル派と中核派の違いとは?内ゲバの真相と新左翼の血塗られた歴史

革マル派 中核 派 違いを探る試みは、昭和から平成、そして令和の今日に至るまで日本社会の陰に存在し続けた過激主義の歴史をひもとく作業にほかならない。ヘルメットとアジテーションが若者の情熱を歪んだ形で駆り立てた時代、かつて同じ志を掲げたはずの勢力はなぜ修復不能なまでに裂け、凄惨な血を流し合う死闘へと突き進んだのか。

安保闘争の熱狂が去った後も、両者の反目と憎悪は冷めるどころか凄絶な内ゲバへと発展していった。一見すると一般市民の目には革マル派 中核 派 違いがどこにあるのか判別しづらいが、その根底には指導者のカリスマ性、組織防衛のあり方、そして革命に向けた具体的行動様式における根深い分水嶺が存在していたのである。

黒田寛一と本多延嘉|創設者が生んだ決定的な思想的亀裂

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分裂の源流は、1963年の革命的共産主義者同盟(革共同)の解体にある。理論的支柱であった黒田寛一を中心に結成されたのが、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)だ。黒田は「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げつつも、まずは党組織の建設と理論的武装、そして何より自派の防衛と拡大を最優先する姿勢を打ち出した。

対する革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)を率いたのは本多延嘉である。本多は現場の全学連運動や労働運動の最前線に立ち、実力闘争を重視する立場を鮮明にした。街頭での武力衝突や即時行動を優先する本多路線は、理論先行で組織保全を図る革マル派を「逃亡主義」「日和見主義」と激しく糾弾。指導者ふたりの思想的隔たりが、致命的な断絶を決定づけた。

東大安田講堂事件と成田闘争で見せた戦術の致命的差

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両派の行動スタイルの乖離が白日の下に晒されたのが、1969年の東大安田講堂事件だった。警視庁機動隊との全面対決が迫る中、革マル派は「温存闘争」を口実に安田講堂から機動隊突入前に突如離脱。講堂に残留し最後まで死闘を繰り広げた中核派や他派閥は、この「敵前撤退」に激怒し、両者の亀裂は不払復の領域に達した。

その後の成田闘争(三里塚闘争)でも戦術の違いは極めて顕著だった。農民運動と深く結びつき、大規模な武力衝突や爆弾ゲリラ事件をいとわずに突き進んだ中核派。一方で革マル派は、自派組織の維持と地下潜伏、さらには基幹産業の労働組合内部への浸透工作へと軸足を移していく。「武闘派」と「潜伏・組織防衛派」という明確な落差が、両派の決定的なカラーとなった。

なぜ分裂し争ったのか?知られざる共通点と凄惨な対立の真相

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多くの人々が今なお疑問に抱くのは、同じ根から派生しながら、なぜ互いを殺戮し合うほどの惨劇に至ったのかという点だ。1970年代から80年代にかけて吹き荒れた「内ゲバ」は、双方で100人以上の死者と数千人の重軽傷者を出す悲惨な結果を招いた。1975年には革マル派の急襲によって中核派最高幹部の本多延嘉が殺害され、中核派も凄絶な報復テロで革マル派幹部を次々と手にかけた。

この血みどろの抗争の真相にあるのは、「自派こそが唯一正統な革命勢力であり、他派は抹殺すべき反革命分子」という排他的なドグマだ。皮肉にも両派には、相手の存在価値を一切認めないセクト絶対主義という深い共通点が存在した。思想的純潔を求める狂信的な絶対主義こそが、かつての仲間を泥沼の死闘へと追いやった真因である。

警察庁警備局が警戒を続ける潜伏組織と組織構造の違い

組織の潜伏様式や運営形態においても両派は対照的なアプローチをとっている。革マル派は鉄道分野などのインフラ企業や大学自治会へ密かに浸透し、裏面から組織を掌握する手法を得意としてきた。内部統制はきわめて厳格であり、表舞台に姿を現さない暗躍体質が特徴だ。

対する中核派は、公開の拠点や政治団体を前面に押し出しつつ、裏では非合法な軍事部門を保持してゲリラ事件を繰り返す二重構造を維持してきた。警察庁警備局はこれらの動向を極左暴力集団の危険な動きとして現在も厳重に監視している。2026年現在においても、サイバー空間を利用した広報活動や若年層の取り込みを図る画策に対し、当局の警戒が緩むことはない。

NHK報道ドキュメンタリーやジャーナリズムが見つめた昭和の遺物

近年、NHK報道ドキュメンタリーをはじめとする各種検証番組や特集記事において、かつて社会を震撼させた過激派運動の痕跡が改めて再検証されている。時代の熱狂に呑み込まれた若者たちが、いかにして暴走し、内ゲバという惨惨たる暗黒へ落ちていったのか。残された映像記録と証言は、現代の視聴者にも深い不気味さと教訓を突きつける。

現代日本政治史・ジャーナリズムの視点から俯瞰するとき、両派の闘争は過去の異質な出来事にとどまらない。自己の絶対正義を信じ込み、対立する他者を力で排除しようとする心理構造は、形を変えて現代社会にも潜み続けている。客観的な報道と検証の継続こそが、過激化の再来を防ぐための防波堤となる。

新左翼思想・過激派組織が現代日本政治史に遺した教訓

街頭での暴力闘争や爆破テロが日常を脅かした時代は過ぎ去った。しかし、新左翼思想・過激派組織がたどった悲劇的な軌跡は、政治的な目的が手段を正当化し始めたときに何が起きるかを示す雄弁な教訓である。

SNSやネット上の論壇で過激な分断と言論攻撃が顕著になる現代だからこそ、異論を排除し暴力へと傾斜した歴史的失敗から学ぶべき意味は大きい。革マル派と中核派が流した血と分断の教訓は、私たちが健やかな言論空間と民主主義を守り抜くために、決して忘れてはならない歴史の警鐘である。 (出典: 革マル派 中核 派 違い(Yahoo!ニュース)